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アライブコーポレートサイトホーム社長ブログリチャード・ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」

リチャード・ローティ「偶然性・アイロニー・連帯」2016/01/09

新年あけましておめでとうございます。
年末年始はゆっくり時間が取れたので、久しぶりに硬めの本を何冊かじっくり読むこと
ができました。
その中でも、以前から気になっていた、リチャード・ローティの「偶然性・アイロニー
・連帯」。とても考えさせられるところが多い本でした。

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私なりの理解でざっくり要約すると、ローティは本書でこういうことを言っています。
—————-
・「客観的な真理や正義」があって、人間でも努力次第でそれを理解することができる
 という考え方は、神の存在が疑われていなかった18世紀以前の哲学の残滓である。
・ダーウィンの進化論が強い説得力を持つようになった現代においては、人間も一種の
 動物で、言葉も人間が環境適応するための道具に過ぎないという考え方が一般的にな
 っている。
・ダーウィン的な世界観に立つと、「客観的に正しい」とか「人間として当たり前」と
 いう考え方を当然視するのは難しくなる。言葉や概念は道具にすぎないのだから、
 「目的に照らして役に立つ考え方」と「役に立たない考え方」があるに過ぎない。
・でも、言葉が道具にすぎないからと言って「どんな考え方も相対的で、善し悪しの判
 断などできない」という立場に立つ必要はない。自分が大切にしている価値、未来の
 社会に対する希望にとって「役に立つ・役に立たない」という違いは厳然としてある
 のだから、未来にとって役に立つアイデアを選び取り、大切にしていくことは正当な
 こと。
・現代の民主社会にとっての未来の希望とは「多様性・寛容・自由・平等」である。
 こういう希望に照らして、「自分のアイデアや行動は、未来への希望にとって”役に
 立つ”ものだろうか?」と考えれば、おのずと物事の是非は判断できる。
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ほんとはもっといろいろと奥行きのあることを言っているんですが、私のつたない表現
力ではこのくらいが限度ということで、ご容赦ください。
…で、私なりにすごく考えさせられたのは、私は結構「正しいものは正しい」「これは
人として当たり前」という考え方をするタイプ人間です。
でも、一方で、それを誰かほかの人に「これは人として当たり前でしょ!」と根拠なく
要求していくのはあまりよくないことだ、とも思ってもいます。
その「正しいことを正しいと万人に要求していくのはあまり正しくない」というジレン
マにいろいろと悩むことがありました。
でも、ローティによれば、結局のところそれは「客観的な正義」を前提とする18世紀的
な世界観と、すべてを「目的にとって役に立つかどうか」で判断する20世紀的な世界観
の食い違いに過ぎないんだ、ということがわかった。
そして、「客観的な正義」という前提を捨てて、すべてを「目的にとって役に立つかど
うか」で判断する立場に立っても、決して「なんでもあり」「好き勝手」になるわけじ
ゃないことも、わかった。
一つ一つの目の前の目的にとって役に立つかどうかで判断できるし、もっと広い視点
に立てば、「多様性・寛容・自由・平等」な社会の実現という未来の希望に照らして役に
立つのかどうか?という基準でもきちんと物事の是非は判断できる。それで十分やって
いけるんだ、ということに自信が持てた。
…ということで、今年は自信を持って「正しいものは正しい」「人として当たり前」と
いう客観的な正義がどこかにあってそれを判断基準にできるはず…という希望を
持つのは控えめにして、「目的にとって役に立つかどうか」を判断基準にして、
自信を持ってやっていきたいと思っています。
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以上、新年早々、長文かつ堅苦しい話題で恐縮でした。
たまには、硬い本を読むのも
いいものですね。
今年もよろしくお願いします。