アライブ

president 社長ブログ

アライブコーポレートサイトホーム社長ブログ【箱根駅伝】青山学院陸上部の歴史

【箱根駅伝】青山学院陸上部の歴史2015/01/06

新年あけましておめでとうございます。
さて、今年の箱根駅伝は原監督率いる青山学院の圧勝でした。

どうやったら、これほどに強いチームができるんだろう???と思い、
色々と探し回っていたところ、「青山学院大学陸上競技部 創部90周年史によせて」※
に載せられた、2009年の原監督の文章を見つけました。
青山学院が33年ぶりに箱根駅伝に出場したころの、6年前の文章です。
感銘を受けましたので、少し長文になりますが、この場を借りて紹介します。
※http://www.obiogi.com/obiogi/doc/010_025.pdf
—————-
 青山学院大学陸上競技部90周年の節目に箱根駅伝出場が出来たことを大変うれしく思っております。強化定部として5 年間を振り返ってみます。
 
 2004年3 月末で中国電力を退職し、4 月1 日付けで青山学院嘱託職員として町田寮副寮監の立場で監督を行うことになりました。監督のお話を頂いたのは就任1 年前頃だと記憶しております。監督を引き受けるにあたって、大学からは3 年で成果をあげてほしい、立場は3 年間は嘱託職員として、合宿所には妻と一緒に入り学生の生活管理もしてほしいというものでした。広島には、購入したばかりの新築住宅があり、妻の仕事も楽しくやりがいがあるもので、私自身も中国電力の新規事業の課長として充実した日々を送っていただけに、そのすべてを投げ出しチャレンジしたことは、今振り返れば危ない橋を渡ってきたものだと感じております。(中略)
 
 2004年4 月正式に新体制がスタートし、念願の合宿所にて30数名の部員とともに生活が始まりました。しかし、合宿所において24時間体制で学生と生活をしてみると、本気で箱根駅伝出場を目指す集団なのか、疑問に感じるような生活態度に驚かされました。朝練習では、雨が降ったら休み、歩いたり、コンビニで立ち読みをしたり、集団走なんか出来る状態ではない。茶髪がなんで悪いの。なんで選抜合宿にするの。全員一緒に食事なんて管理されたくない。何かにつけて飲み会を行い深夜帰り、麻雀等々。
 考えてみると、今まで1 人暮らしで、楽しく自由に生活し、学生中心で好きなように活動していた学生にとっては、この合宿所の存在は有難迷惑なことだったのだと思いました。監督就任前からの選手と強化指定部以降入学した選手が混在していた就任3 年間は競技の指導というよりは、私生活の指導ばかりをしていた記憶があります。ただこのことは遠回りかもしれませんが、「良質な土壌に変えなければ、いくら良質な苗を植え付けても荒れ果てる」訳で、これから優秀な人材を確保し、部の体制を箱根駅伝出場に向けてしっかりとした土壌にするため、避けて通れない時期だったと思います。
 
 ともに強化指定部創設期に改革に汗を流してくれ、現在の部の礎を築いた強化指定部初代主将佐藤良仁君、主務の益田岳志君、女子マネージャー、寮則の基礎を構築してくれた初代寮長仲村一孝君達は強化指定部以前に入学した学生であり、監督と学生の狭間に立ち様々な葛藤があったことだと思います。部の強化のために尽力してくれたことに改めて感謝したい気持ちです。
 
 しかし、強化指定部創設後最大の危機が監督就任3 年目にやってきました。この年、短時間で結果(箱根駅伝の出場)を出すために高校生のスカウティングを記録重視で行った結果、学業との両立、規律と厳しい鍛練に順応出来ない選手をスカウティングしてしまい、2 年間積み上げてきたものが簡単に壊れてしまったのです。
 結局その年の予選会での結果は最悪でした。それに対しての各方面からの手厳しい批判と部内の意気消沈した険悪なムード、あの悪夢は未だ頭から離れることはありません。この年のスカウトの反省により、今のスカウト活動の方針(青山学院での人材のあり方はただ単に記録だけではなく、学力、性格、私生活での自己管理が出来る生徒等)が確立されました。様々な問題を抱えながらの、試行錯誤の連続ではありましたが、必要な組織づくりは確実に浸透してきました。
 そんな中、強化指定部創設後最大危機を救った功労者のひとり、強化指定部の1 期生で入学した4 代目主将檜山雄一郎君が、私を支え部を大きく改革してくれました。2 人2 部屋制の導入。就寝時間を早めるために朝練習の集合時間・集合場所の変更。(30分早くし5 時30分。集合は玄関前から寮から800m先の市民球場に)何よりもポジティブで親分肌の気質で同輩・後輩からの絶大なる信頼を持った学生でした。この年の予選会は、ポイント制度により逆転を許しましたが、前年度の大敗を払拭し自分達もやれば出来るのだと勇気づけられた大会でした。ただ、当日の20㌔×10人の合計タイムでは箱根駅伝通過ラインを越えていただけに、彼らの世代に箱根駅伝出場の夢を叶えさせることが出来なかったことが今でも私自身の無念の気持ちです。
 
 第85回箱根駅伝出場ばかりがクローズアップされていますが、33年ぶりに出場出来たのは、こういった学生達の「自分たちの世代で青山学院大学を箱根駅伝に出場させるのだ」という強い志と使命感のおかげだと思います。今入部している学生達は、寮があるのが当たり前、お風呂・食事の支度が出来ていて当たり前、入学して当たり前といった風潮が少しばかり出始めています。私自身も日々感謝の気持ちを忘れないように、人に感動を与えることのできる人間になれるように学生諸君への指導を行っていきたいと思います。
—————-
強い組織がうまれるために必要なものが、
青山学院陸上部の歴史に詰まっているように感じました。
本年もよろしくお願いします。